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リア充とは一体なんなのか。その定義についてズバリ考えてみました

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日テレでリア充の生態がテーマとなる番組が放送されていたので、ひとつ私も考えてみることにしました。

賑やかなテレビとは違い、私は自宅でひとり考察を行う…。既にリア充と非リア充の構図が垣間見えたような気持ちです。

余談ですが、平然と「リア充」「ディスる」「ツンデレ」などのいわゆるネットスラングをマスメディアで目にしたり耳にする昨今、私としては非常に時代の流れを感じます。

リア充ってなにさ?

リア充(リアじゅう)は、リアル(現実)の生活が充実している人物[1]を指す2ちゃんねる発祥のインターネットスラング。

学生間で揶揄されることが非常に多い印象。高校~大学辺りが一番自由を謳歌できる年頃だからだと思われます。

講義が終わるや否やカラオケに洒落込んだり、週末には合コンに繰り出したり、バイト先で気になるあの子と良い感じになったり、試験前はスタバで勉強に勤しんだり、友人とセレショで洋服を買っちゃったり、夏には仲間連中と海に出掛けてバーベキューを楽しんだり、冬にはスキーやスノボを満喫したりと、とにかく私生活が充実している方のことを指す用語です。

大概そこにややチャラい要素を加味して使用します。

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失礼しました。これはまたジャンルが違います。

話を戻します。逆に友人が少なかったり、打ち込める趣味がなく、リアルが充実していないとされる方を「非リア」などと表現することもあります。

なんで流行りだしたの?

元々、社会カーストの低層に位置するオタク趣味を持つ人間が、上層に位置する人間に対して、侮蔑や羨望のニュアンスを込めて使い始めたのです。また、リア充ではない自分自身を自虐する意味合いでも使われていました。

社会におけるカーストや、そこに位置する人間を端的に表現できることから、違和感なくネット上に普及していったのだと思われます。

特に学校という閉鎖社会は、否応なく人付き合いを要求され自然と上下関係が形成される場所なので、当時の学生は好んでこの言葉を用いていたのでしょう。

オタクはリア充じゃないの?

おたく(オタク、ヲタク)とは、1970年代[1]に日本で誕生した呼称であり大衆文化の愛好者を指す。元来は漫画・アニメ・SF・特撮・パソコン・コンピュータゲーム・クイズ・模型・鉄道・格闘技などの、なかでも嗜好性の強い趣味や玩具、の愛好者の一部が二人称として「お宅」と呼び合っていたことを揶揄する意味から派生した術語で、バブル景気期に一般的に知られはじめた。

本来、趣味への傾倒度合いが高い方を指して「オタク」と呼称していました。

没頭できる趣味がある人間のことを指すのですから、これは私生活が充実している=リア充に該当しているのではないだろうかと考えられたことでしょう。

しかし近頃のオタクの定義は当時と変わり、一般的なコミュニティに所属できずその代償行為として引用記述の大衆文化に傾倒する、コミュニケーション能力に自信がない人間を指す用語として使用されることが多いように思います。

そうした方々の頭の中には、「友達がいないから、二次元で癒されよう」という思考がどこかあり、心底充実しているわけではない状況のため、ヲタクはリア充に該当しないという認識が強いのでしょう。

つまり、友人も多くコミュニケーション能力に秀でており、ヲタク趣味を一切のてらいなく楽しんでいる人間は、リア充なのです。

リア充になるにはどうすればいいの?

自分自身を納得させたいのであれば、自分が思い描くリア充像をトレースするに尽きます。心の底からその生活を楽しめて、自分をリア充と認められるようになった瞬間が、あなたのリア充道の始まりです。

逆に周囲からリア充と認識されたいのであれば、とにかくコミュニケーションを重視し、ヲタク趣味を卒業し、一般的な趣味に手を出すことです。

リア充という言葉には少なからず侮蔑のニュアンスが含まれていることは上述しましたが、そうした人間であると周囲に思われたいのであれば、オタクと対象となる存在であるように振る舞えば良いのです。

しかし、真実好きな趣味を放棄して、努力の末にリア充らしく振る舞うことが当人の幸せとなるかはまた別の問題。

まとめ

取りとめのない定義や用法のお話となってしまいましたが、いかがでしたか。

今や現実で使ってもあまり違和感を覚えないほどに浸透したリア充。なんとなくフィーリングで使われている方がいらっしゃることでしょう。私も記事を執筆するまで、あまり深く意味を考えたことはありませんでした。

ネットスラングは誤用された形で一般に普及することが往々にしてあります。私が観た番組でも、真実リア充の意味を理解しているとは断言しがたい内容でした。しかし、マスメディアがあたかもそれが正しい用法であるかのように報道すれば、閲覧した人間からすれば真実に置き換わるのです。

言葉の意味など、結局割合で決定づけられるものです。誤りであっても、その誤りを使用する人間の割合が多数派となれば、取って食われる。

いわゆるオタク趣味が一般に浸透していく昨今、そのことが原因でオタクの居場所が奪われていく有様に似ているように思いませんか。

なんだかそれが耐え難く、自分は決して取って食われてなるものかと、リア充という言葉の発祥について改めて考えた次第でした。それでは。

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