人生は選択肢だらけ
でも もし
選び直すことができたら
プレイ前は漠然と「マックスとクロエが二人三脚で活躍するダブル主人公的な内容なのかな?」という印象を抱いていました。しかし蓋を開けばまったく違いました。クロエのポジションはパンクな風貌とは真逆の、か弱いヒロインそのものなのです。
ライフ イズ ストレンジを端的に表現するのであれば、クロエに始まり、クロエに終わる物語です。
前回ざっくりゲーム内容をご紹介しましたので、今回はネタバレを踏まえてクロエという人物にスポットを当てたお話をして参ります。
※ライフ イズ ストレンジのネタバレが多分に含まれています。未プレイの方はご注意ください。
Contents
どゆこと?
マックスの親友クロエ・プライスは、あくまで救われるべき対象として描写されています。またマックスの行動原理も、クロエと共にいること、クロエを救うことに終始しているのです。
クロエの生い立ち
作中の5年前時点に実の父ウィリアム・プライスを交通事故で亡くし、それから程なくしてマックスが街から引っ越してしまったことで親友をも失います。
母ジョイス・プライスの再婚をきっかけに、義父であるデイビッド・マドセンと同じ屋根の下で生活することになるも、馬が合わず荒んでいく一方。
やさぐれていく最中レイチェルという新たな親友に出会い明るさを取り戻すも、作中の6ヶ月前に彼女は何故の失踪を遂げてしまう。そんな折、5年ぶりにかつての親友マックスと再会を果たします。
それゆえ大人になりきれない
そうした環境下で育ったクロエは自分のことを悲劇のヒロインとして見ている節があり、責任を他者になすりつけがちな一面があります。
自分がくそったれな人生を送っているのは死んだ父親のせい、義理の父親のせい、自分を置いて引っ越したマックスのせい…。
もちろんクロエにすべての非があるわけではありません。彼女の身に降りかかるのは、どれも不可抗力の悲劇ばかりです。しかし、それからの生き方を選択したのは彼女自身です。
高校を中退したのも、レイチェルを探すための資金をクスリの売人から借りたのも、すべては自分で決めたこと。他にやりようがあったにも関わらず。そのことをひっくるめて他人に責任転嫁しているのは、彼女の未熟さゆえです。それは他にやり方を知らない彼女なりの、自衛手段なのです。
自らの殻に閉じこもり周囲に責任をなすりつける…。ゆえに作中ではマックスを救うことはせず救われるだけの、言わば庇護対象のように描写されています。
それにしたって幸薄すぎませんか?
作中でマックスは少なくとも5度クロエの命が左右される場面に直面します。
- 女子トイレで逆上したネイサンに撃たれる
- 線路に足がハマり電車の下敷きになりかける
- 改編後の世界で事故に遭い完治のアテがないためマックスに殺害を乞う
- 黒幕ジェファソンに撃たれる
- 自分がネイサンに殺されることを防ぐべきではないとマックスに提案
ただでさえ育った環境がよろしくなかったというのに、自分の命でさえ5度失いかけています。
まあ、1、2に関しては彼女の自業自得によるところが大きいのですが…。特に2は廃線だから堂々と線路に寝転がっているのかと思いきや、現在進行で使用中の線路でした。正直ツッコミどころが大きい。
強いられる二度の選択
1、2、4は選択肢が存在しないため度外視。
3.改編後の世界で事故に遭い完治のアテがないためマックスに殺害を乞う
タイムリープによりマックスが交通事故で亡くなるはずだったクロエの父ウィリアムの命を救った世界のお話。
ウィリアムは助かるも、なんとその後彼女自身が交通事故で半身不随となってしまう。彼女の延命には多額の資金が必要なのですが、あろうことか保険が適用されずプライス家は生活費用すらまともに支払えない危機的状況に。
それでも嫌な素振りすら見せず介護してくれる両親を見かね、マックスに自分を殺すよう懇願します。
5.自分がネイサンに殺されることを防ぐべきではないとマックスに提案
アルカディア・ベイを襲う竜巻の原因がマックスの能力により運命をねじ曲げクロエを救ってしまったことに起因するものだと悟ったことから、クロエ自ら提案した内容。
クロエを選べば、アルカディア・ベイは竜巻により崩壊する。アルカディア・ベイを選べば、クロエの犠牲と引き換えに町の人々は救われる。
マックスが幾度となく辛い体験をしながら、輝かしい未来を棒に振るってまでもクロエを救わなければ、この提案はあり得なかったはずです。ようやくひとりぼっちではないことを悟ったクロエは、初めて誰かを救う側に回ろうとしたのです。
クロエが犠牲になることで直接的に救われるのはアルカディア・ベイで暮らす人々。けれどクロエが本当に救いたいのは、他ならぬマックスなのでしょう。自分が犠牲になれば、自分を救うためにマックスがこれ以上苦悩する必要がなくなる…。そのことが、自己犠牲を申し出た理由のおおよそを占めているのです。
選択に絶対の正解なんてないよ
3はあくまでクロエ本人を救うための選択。クロエを殺すことが彼女の救いと考えるか、クロエを生かすことが彼女の救いと考えるか、どちらにせよ彼女を案じた上の選択です。
しかし5では彼女とアルカディア・ベイを天秤にかけられる。アルカディア・ベイにはブラックウェルの友人や知人、これまで知り合った人々が暮らしています。それらすべてを犠牲にしてクロエたった一人を救う…。命の重みが等価なら、より多くの人を救う選択が正解でしょう。
しかし、その人にとって誰かの命は決して等価ではあり得ません。父親と赤の他人が同時に溺れているとき、まず先に助けるのは恐らく父親であるはずです。もしくは父親になんらか負の感情を抱いているとすれば、赤の他人を助けることでしょう。
すべてに平等な神でもない限り、人間ひとりにとっての命の重みには差が生まれます。だからこそ、選択に葛藤が生じるのです。
プレイヤーが物語を進めて感じた気持ちの上に選んだ答えが、唯一その人にとっての正解なのです。
…などと豪語しつつも、「ゲームの中でくらいみんな救われるハッピーエンドがあってもいいじゃん」と思ってしまうのが歯痒いところ。
マックスにとってクロエとは?
唯一無二の親友なのでしょう。
プレイヤーが介入できない、つまり選択の余地がない一本道の部分にその思いは示されています。
たとえば、クロエの実の父ウィリアムを救うためのタイムリープ。タイムリープ後にウィリアムを救う・救わないの選択は一切行えず、助けることが確定しています。
また、黒幕であるジェファソンを豚箱に送り込み、日常ヒーローコンテストで見事優勝しサンフランシスコの展示会に参加した際も、クロエの電話でアルカディア・ベイに竜巻が訪れたと知るやタイムリープし、審査対象の写真を破り捨ててしまいます。自分の輝かしい未来すら惜しまずに。
クロエをよほど大切に思っていなければできない行動です。私なら、ひょっとしたり親友よりも自分の明るい未来を選んでしまうかもしれません。
ゲーム進行の都合だと言い切ってしまうことは簡単ですが、それではあんまりです。少しばかり深読みするしてみるとまた一段と面白さが増します。
まとめ
このゲームの目論見は取捨選択にあります。クロエを取るかアルカディア・ベイを取るか。プレイヤーにその二択を迫るために、ネイサンやジェファソンを使って事件を配置し、クロエだけでなくアルカディア・ベイの人々にも入れ込ませる作りにしたのではないかと勘繰っています。
個人的に、クロエを犠牲にした場合の方がトゥルーエンドらしい演出であることが残念極まりない。正解も不正解もないのだから、どちらも等価であるべきだと考えています。
これだけマックスのモチベーションをクロエに紐付けておきながら、あまつさえそれが誤りであるような描写すらないくせに、結末だけクロエの犠牲が正史であるかのように演出されても腑に落ちないというのが正直なところ。しかしまあ、結末以外は文句なしです。