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20代無職が引きこもりのような生活を約三ヶ月続けて感じた5つのこと

2016062401

色々ございます。お話しして参ります。

つい寝すぎてしまう

日によっては朝起きて夜寝てみたり、また別の日は徹夜をして目覚めるのは夕方であったり、そうした不規則な生活がたたってか毎日の睡眠時間は大体12~13時間前後です。

サラリーマン時代も週末は夜更かしをしていましたが、ここまで睡眠に時間を割くことはありませんでした。正直病気ではなかろうかと訝しんでいますが、実害はないので放置します。

時間を無駄にすると焦燥感に駆られる

時間は有限だというのに無為にしてしまった。なんと愚かなことだろう。そう感じてしまうときがあります。

あまり自分を美化したくはないので率直に述べると、私は規則正しい生活や週当たり最低五日の勤務、日付を跨ぐような残業が嫌で仕事を辞めました。根性など微塵も持ち合わせていないわけです。こらえ性がないということは自覚していますが、だからといって辛い気持ちを誤魔化してまでサラリーマンを続けていてもしかたないだろう、そう考えたのです。

ですので怠惰にまみれた生活はむしろ本懐であるはずが、実際にそのように過ごすと憂鬱であったり、罪悪感に苛まれるわけです。それはつまり、心のどこかで焦りを感じているからに他なりません。何故焦りを?と問われれば、お金を稼がなければならないから、という回答が適切でしょう。

無職の私がお金を稼ぐ手段のひとつにブログがあります。記事のネタを考えるために情報収集に勤しんでみたり、実際に記事執筆にあたってみたり。そのことに充てられるはずの時間を娯楽や怠惰に費やす。すると私はいずれ生活費を得られなくなり路頭に迷ってしまうのではないか、そうした恐怖が鎌首をもたげるのです。

ゆえに時間を無駄にしているから焦燥感に駆られる、というのは語弊があるのでしょう。怠慢ゆえにお金がなくなってしまったらどうしよう、ということに恐怖を感じているわけです。お金は我々に自由を与えてくれますが、同時に我々を不自由に縛る存在でもあるのだと実感する次第です。

外出したくなくなる

これには様々な要因があると考えています。

まずひとつに、私が元々人込みを苦手とする気質だということ。こちらの移動を妨げられると無性にイライラします。無関係の人間の肉声にもイライラします。

嫌なら外に出るな、という言葉がまさしくふさわしい。みな私と同じようにゆえあって外出しているだけであって、なんの罪もないのだから。そのため、私は必要に差し迫られない限り外出はしません。

これまでは出勤のため否応なしに外出を強制されていましたが、その必要がなくなった今あえて自主的に外へ繰り出そうとは思わなくなったというわけです。

ふたつめに、外出するにはお金が必要だということです。外出の目的はほとんど、買い物、交遊などの有り金を消費する行為です。加えて、交通機関を利用すれば移動費がかかります。高等遊民でもなければ、浪費はなるべく慎みたい。そういうことです。

自分の精神状態を客観的に見つめられる

フラットな視点を得られる

仕事が過渡期に移り仕事だけの毎日になると、普段の自分からは考えられない感情、言動に振り回されることがあります。仕事を苦に亡くなることが多い日本においては、決して妄言ではないと断言できます。

その点無職はフラットな精神状態を保てます。なんせ、外部からのストレスが希薄ですから。自分が何をしたいのか、何をしたくないのか、今後どうしていきたいのか、今後どうしていきたくないのか、そのことを冷静に見つめる良い機会ができたように思います。

ただ職歴に穴をあけてまで行うことなのかどうかは、今後の自分次第でしょう。

精神は事象に引きずられる

辞めて一週間後は、「無職が楽しくてたまらない」という旨記載した記事をアップしました。また二か月後は「やる気が起こらなくなった」という記事をアップしました。

その後の今は、ハイでもなくローでもなく、至ってフラットです。嫌でしかたなかった仕事を辞めた高揚感からハイになり、それが収まってしばらくはローになる。ハイからローの起伏に慣れたから、現在フラット。人間の精神は、往々にして事象に引きずられるものだということです。

他者との交流が少なく、フラットな精神状態の無職だからこそ、その振れ幅を実感しやすいのだと思います。

たまに他人とやり取りをすることが大事

自分の殻にずっと閉じこもっていると、思い込みが誇大化し、次第にわけのわからんことになります。たとえば、一度無職になってしまったらもうまともに就職できない、自分は人生の落伍者だ…などなど、一時の気の迷いをなんの根拠もなく絶対であるかのように想像し、絶望してしまうわけです。

人間の欲求の半分以上は、社会的欲求(他人と仲良くなりたかったり、他人に認められたいという、他人がいて成り立つ欲求のこと)によって構成されています。そうした社会的動物である人間が、交流を経つとどうなるか。まともに他人と交流できない自分にはなんの価値もない、そう思い込んでも不思議はないですし、なにより気持ちを発散できずストレスが溜まります。そこから思い込みが発展し、自分の価値を更に貶めても何の疑問もありません。

ですから、自分を見失わないためにも、誰かと定期的に繋がることは大事なのだと思うのです。私はなるべく一人で過ごすことを好む人間ですが、それでもやはりたまには誰かと一緒にいたい、と思うときがあります。これは、非常に重要なことだと考えています。

まとめ

まあそんな感じです。大多数の人間は金を稼がなければ生きていけないから雇われの身となるわけで、精神面のメリット・デメリットばかりに着目しても仕方ないとは思うのですが、そのことが人生の是非を左右することも事実です。ですので少しでも参考になれば幸いです。それでは。

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